栃木県の県都、宇都宮市。
宇都宮駅の西口に、「餃子」をモチーフにした、ユニークな像があります。
1 大谷石と餃子像
宇都宮駅前の「餃子像」は、「大谷石」(おおやいし)で、作られています。
大谷石は、宇都宮市の北西部にある、大谷町(おおやまち)の一帯で、古くから採掘されてきた、地域の特産品です。
大谷石は、いわゆる「軽石凝灰岩」(かるいしぎょうかいがん)。
(「凝灰岩」は、火山灰が堆積してできた岩石で、このうち、中に、軽石を多く含んでいる凝灰岩が、つまりは「軽石、凝灰岩」です。)
その表面は、多孔質(=孔(あな)の多い形質)の独特な風合いをしています。
白く美しい、魅力的な石材です。
柔らかく、加工しやすいことから、昔から、建材として利用されてきました。
住宅まわり(石塀、門柱、敷石、かまど等)や、蔵、倉庫、或いは擁壁などにも、盛んに使われてきました。
耐火性はもちろん、防湿性にも優れています。
何といっても、アメリカの建築家フランク・ロイド・ライトが、帝国ホテル旧本館(ライト館:1923年(大正12年)竣工)で、使った後、知名度と人気が高まりました。
ただし、大谷石の、この「多孔質」「柔らかい」という特性は、特に風雨に晒される野外では、劣化が早く、もろい、という弱点にもなりました。
(雨や雪を吸水して、膨張を繰り返すことで劣化が進むためです。)
戦後は、次第にコンクリートに、その役割を明け渡すことになりました。
近年では、薄くスライスする技術なども開発され、見た目の美しさが再評価されています。
吸湿性や、消臭効果は、建築物の内装としても有用です。
音響効果も高く、音楽ホールなどでも利用されています。
また、操業を終えた採石場は、広大な地下空洞として残っています。
例えば、ワインや日本酒などの貯蔵施設として使われています。
「大矢資料館」は、観光スポットとしても人気の高い施設です。
その地下に広がっている、広大な採石場跡は、見学コースになっています。
その非日常的な光景は、映画などの撮影場所としても、重宝されています。
一方で、過去には、古い採石場跡の地表部が、陥没する事故も起きました。
1989年(平成元年)に発生した事故は規模が大きく、観光客の減少にもつながりました。
そして、この陥没事故が、「餃子像」のストーリーへと続いているのです。
■「餃子像」正面
■まさに「大谷石」の質感

■大谷資料館地下に広がる見学施設
2 餃子のまちの餃子像
宇都宮の餃子は、戦後、満州から引き上げてきた、軍人や移住者が、満州餃子の製法を持ち帰ったことが、その始まりだといわれています。
現在では、市内に、餃子を扱う料理店が、300軒以上もあり、それぞれに賑わっています。
すっかり知名度も上がり、観光客の目的となるなど、経済的効果も生み出している、この「宇都宮餃子」ですが、ここまで来るためには、地元自治体の、相当の努力があったようです。
1989年(令和元年)の、採掘跡地の陥没事故は、観光客の減少に直結しました。
当時、宇都宮市の観光担当課では、そのリカバリーが、大きな課題でした。
1990年(平成2年)、取り組みの核になるキーワードを探していた観光課の職員が、あることに気付きます。
それは、国の統計調査における「餃子購入額」で、宇都宮市が、常に上位になっていることでした。
本当に、そんなことがきっかけで「餃子のまち」を柱に据えた観光PR作戦が始まったのです。
観光課では、地元の民間事業者へ、熱心に働きかけを行ったようです。
その気持ちが伝わって、段々形になっていきました。
1991年(平成3年)には、業者団体として「宇都宮餃子会」が発足。
始めは任意団体だったこの宇都宮餃子会も、その後2001年(平成13年)には協同組合へステップアップしています。
「餃子像」は、そんな取組の初期の段階に、誕生しました。
1994年(平成6年)にテレビ番組(テレビ東京の、山田邦子司会「おまかせ!山田商会」)とのタイアップで、『東口』広場に、設置されました。
現代美術家の西松鉱二氏がデザインを担当(ビーナスが餃子の皮に包まれた姿が表現されています)。大谷石を使い、地元の石材業者に、無償で制作してもらいました。
手作り感のある、この「餃子像」には、後日談があります。
2008年(平成20年)、駅前「東口」再開発のため、「餃子像」は、西口へ移転することになりました。
この作業中に、何と、不手際からワイヤーが外れ、像の脚が折れ、胴体部分が真っ二つに割れる、という事件が起きました。(低い位置で倒れただけなので、けが人などはいません。)
その後、割れた石の間にボルトを通し、接着剤でくっつけてしまいました。
現在、その修復された像が、西口のペデストリアンデッキ2階に設置してあるのです。
(足と、背中のつぎ後も、見ればわかります。)
つまり「餃子のまち」が定着した後に、テレビ局が便乗して像を造ったのではなく、まさに、関係者が取組を進めている中で、話題を振りまきつつ、知名度アップに貢献したのが、この「餃子像」だったというわけです。
現在「餃子像」は、そんな地域活性化の成功を振り返る、一つのシンボルになっています。
出張などで、宇都宮を訪れた際には、ぜひ、餃子像をながめ(背中の継ぎ跡も確認し)奮闘してきた人達に、思いを馳せてみると良いと思います。
(像が真っ二つになったときは、関係者もさぞや、焦ったと思います。)
そして、仕事を片付けた後、そんな逸話を肴に、ビールを飲むと良いと思います。
もちろん、餃子を味わいながら。
■餃子の皮を再現
■「餃子像」設置経緯
■「餃子像」の背中
■真っ二つになった継ぎ後
