♣5 合掌土偶(青森県八戸市)

♣となりの彫刻

青森県、八戸市のJR八戸駅。
東西をつなぐ、構内の通路に、一風変わった像があります。
「震災復興祈念の像」という名称。
これは、「合掌土偶」と呼ばれている土偶の、レプリカとして制作されたものです。

1 国宝合掌土偶

両手を合わせ、指を組み、祈っているように見えることから、合掌土偶と名付けられたこの土偶。
青森県八戸市の、風張1遺跡から、1989年(平成元年)に出土したものです。

その後、1997年(平成9年)に、他の多くの出土品とともに重要文化財に指定されました。
さらに2009年(平成21年)、この「合掌土偶」1点だけが、国宝に指定されました。

現在は、八戸市埋蔵文化財センター是川縄文館で、常設展示されています。

合掌土偶は、縄文時代後期後半(約3500年前)に作られたもの。

八戸駅のものも含め、各地に、大きなレプリカなども制作されていますが、実物の大きさは、高さ19.8cm、幅14.2cm、奥行15.2cm。

合掌土偶は、こんな形で見つかったそうです。
竪穴住居跡の出入り口から向かって奥の北の壁ぎわから出土。

右側の面を下にして、横に倒れてはいましたが、住居の中央を向き、背中が、後ろの壁に、寄りかかるような位置関係。

つまり、竪穴住居は、通常、南向きの入り口が一つで、丸い形をした居住空間なので、入り口から見て、一番奥の位置に、大事に置かれていた(祀られていた)ということだと思います。

そもそも土偶は、縄文時代に作られた土製の人形のことです。

特に、女性の形をしたものが多く、農作物の豊かな実りや、生命を育む力、或いは出産を祈るための呪術や祭祀の道具として使われていたのではないか、と考えられています。

しかし、実際のところ、多くのことが謎のまま。

少なくとも、「合掌土偶」が、その竪穴住居で暮らしていた家族の人達に、とても大事にされていたということだけは、確かなのだと思います。

2 縄文文化

縄文時代という区分は、日本独自のものです。
世界史的に見れば、新石器時代に対応しています。
「新石器時代の特徴」である、磨製石器や土器の使用、あるいは定住生活は始まっています。

しかし、新石器時代の重要な要素である、農耕や牧畜などは、縄文時代には見られません。

一般的には、「狩猟・採集」の不安定な生活から、「農耕・牧畜」の生活へと移り、ようやく定住できるようになる、という流れ。

ところが、縄文時代は、「狩猟・採集」経済のまま、定住生活が始まっているのです。
これは、当時、この地方が、豊かな自然環境に恵まれていたからだ、と言われています。

縄文文化は、世界史的にみても、非常にユニークな存在なのです。

一方で、「農耕・牧畜」の開始は、人口増加や階級・国家の形成につながり、やがて土地や水などの資源をめぐる争いへと発展していった、といわれています。

日本でも、その後の「弥生時代」には、戦いの証拠が格段に増加します。
「弥生時代」になると、武器で殺された多くの人骨が、一箇所にまとまって見つかるようになります。

このような集団同士の戦闘の形跡が、縄文時代には、まだ見られません。
このため、縄文時代は(弥生時代と比べれば)戦争のない、平和な時代だった、ともいわれています。

3 ゆるきゃら「いのるん」

「いのるん」は、「是川縄文館」のマスコットキャラクター。

「是川縄文館」がオープンした2011年(平成23年)に、合掌土偶をモチーフにして、縄文文化を全国にアピールしようと作られました。

このような行政側のPR活動なども行われていますが、土偶と聞くと、多くの人の頭に思い浮かぶのは、あの宇宙人のような形の土偶の方だと思います。

即ち、「遮光器(しゃこうき)土偶」。

横線一本が入った、デフォルメされた、丸い大きな目が特徴。
イヌイットなどの北方民族が、雪が反射する光のまぶしさを緩和するため付けていた、遮光器(スノーゴーグル)に似ている、と明治時代の日本の考古学者が名付けたものです。

ちょっと堅苦しい名称なので、好きな人達の間で、現在「しゃこちゃん」というニックネームで呼ばれたりしています。

名称はともかく、遮光器土偶のデザインが、相当に多くの人に認知されていることは間違いありません。

これは、亀ヶ岡遺跡以外の場所でも、変形版の遮光器土偶が、多数見つかっていることや、アニメや漫画などに、そのデザインが、繰り返し登場している、といったことが理由だと思います。

比べると、「合掌土偶」の認知度がまだまだ低いように感じます。
完全な形で出土したのが、風張1遺跡だけであることや、そもそも明治時代に発見された遮光器土偶に比べ、見つかってからの歴史が、まだ浅いせいもあるのかもしれません。

是川縄文館には、見学に来た小学生などのために、「合掌土偶」をさわってみよう、というコーナーがあり、実際の大きさや、重さにあわせた、レプリカが展示されています。

試しに持ってみると、意外とずしりとした手応え。

3500年前に、これを作った人。
いったい、どんな気持ちだったのだろう。しみじみと想像しました。

因みに、レプリカでは簡略化していますが、本物は、女性器まで、表現しています。

本物を見学すると、その荘厳さに強い印象を受けます。

大きく作ったレプリカですら、表面的なデザインを真似ているだけで、芸術性などの面で、遠く及んでいないことがわかります。

ユーモアの度合いにしても、「いのるん」より振り切れていて、格段に上、と感じるほど。

もっと有名になって、おかしくないのではないか。
どうして、この魅力や、価値が、いまひとつ広まっていないように感じるのだろう。
自治体のPR戦略としても、もう少し、やりようがあるのではないか。

と、そんな事を、ついつい考えてしまいました。

同時に、改めて、合掌土偶の、たらこくちびるを眺め、3500年という長い長い時間に思いをはせているうちに、現代人へのPRといっても、小さい事かもしれないな、とも思えてきたところ。

いずれにしても、多くの人が一度、実物を見る価値のある作品であることは、間違いありません。

国宝。
まさしく、これが国の宝なんだな、と感じたところです。