大阪府寝屋川市と寝屋川署、さらには寝屋川郵便局と、寝屋川交通安全協会の4者は、2025年4月4日、交通事故の抑止を呼びかける広報啓発に関する協定を結びました。
これは、寝屋川市において、昨年(2024年)、府内ワーストから一転し、初めて交通死亡事故ゼロを達成したことを受けてのもの。
春の全国交通安全運動(2025年4月6~15日)を前に、同郵便局で協定式が行われ、参加した市内の園児22人といっしょに交通安全宣言も行われました。
1 交通事故抑止を目指す広報啓発協定
寝屋川市内には国道1号や国道170号など交通量が多い幹線道路があり、寝屋川署管内の2020年、2021年の交通死亡事故(交通事故発生から24時間以内に亡くなった事案)の死者数は府内の警察署で最多だったそうです。
関係者で連携し、広報啓発活動や交差点などでの事故防止の取り組みを進めた結果、2024年、ついに死者数ゼロを達成しました。
これは、1950年(昭和25年)の統計開始以降、初めてのことだそうです。
同市内では2023年(令和5年)12月13日に発生した交通死亡事故を最後に死亡事故がなく、今年(2025年)3月末で475日連続で死亡事故ゼロの記録が続いています。
寝屋川署では園児らが描いた絵を採用した「交通事故ゼロ」を呼びかける広報啓発マグネットを作製し、パトカーや郵便局のバイクなどに貼るほか、市民らにチラシを配るなどして取組を進めることにしています。
2 交通事故の長期推移
全国的な、道路交通事故(人身事故)の長期的な推移は次のような流れです。
戦後、1950年代から1970年代頃まで、交通事故死者数及び負傷者数は、ともに著しく増大しました。
1951年(昭和26年)から1970年(昭和45年)までに交通事故負傷者数は3万1,274人から98万1,096人(31.4倍)へ、死者数は4,429人から1万6,765人(3.8倍)へと増加。
(令和4年交通安全白書[内閣府]より)
これは、車社会化の急速な進展に対して、①道路や信号機、標識等の施設が不十分だったことに加え、②車両の安全性を確保するための技術が未発達であったこと、さらには③交通社会の変化に対する人々の意識が遅れていたことなどが要因であったと考えられています。
このような流れを受けて、1970年(昭和45年)に交通安全対策基本法が制定され、国を挙げて交通安全対策が進められました。
同法では、交通の安全に関する総合的かつ長期的な施策の大綱である交通安全基本計画を作成することが定められました。1971年(昭和46年)の第1次交通安全基本計画に始まり、その後5年毎に作成され、2021年(令和3年)には、現在の第11次計画が策定されています。
このような取組の結果、2021年(令和3年)の交通事故死者数は2,636人となり、過去最悪だった1970年(昭和45年)の1万6,765人の約6分の1となりました。
3 交通事故の劇的な減少
このように交通事故による死傷者数は近年、激減しています。
この要因は、ちょうど1970年代当時の課題の裏返し。
関係者の努力によって、問題を一つ一つ克服してきた成果だと思います。
すなわち、①道路や信号機などの整備が進んだこと、②車両の安全技術が著しく進展したこと、③交通社会に対する人々の意識醸成が図られたこと。
行政によるインフラ対策と、民間の技術開発(車両の安全対策)、さらには住民の意識啓発活動がかみ合って大きな成果につながっている、珍しいくらいに際立った事例ではないか、と感じているところです。
しかし、毎年の地域の警察署の啓発活動などを見ると、どうしても、危険な面、悲惨な事故などを強調せざるを得ない様子。危険を指摘して、住民に注意を喚起することが役割なのですから、しかたがないことかもしれません。
なかなか、自分達から既に大きな成果を挙げてきています、とはアピールしづらいのでしょう。
寝屋川市の式典でも、広瀬慶輔市長からは「力を合わせれば、目標を達成できることを改めて実感した。他市の模範になり、市民が安心できるまちづくりを進めたい」といったスピーチもあったところ。
交通安全運動の成果や、良い面を上手くアピールし、住民を、さらにその気にさせていくのは、あるいは市町村などの自治体側の方が、得意な分野なのかもしれません。