秋田県仙北市。
田沢湖畔に佇む「たつこ像」。
戦後日本を代表する具象彫刻家、船越保武(1912~2002)の作品です。
金箔で輝くその姿。
ネット上では、成金趣味的ではないか、といった批判的なかき込みなども見受けられるところ。
しかし、青銅で作られたこの像が、金箔で覆われているのは、酸性度の高い田沢湖の水から保護するためでもあるのです。
強い酸性の田沢湖は、現在、特定の魚しか住めないような環境になっています。
そもそも田沢湖は、昔から強い酸性の湖だったわけではありません。
辰子姫伝説にも登場する、貴重な固有種であるクニマスを始め、かつては豊富に魚が捕れました。
漁業組合をつくり、漁業で生計をたてる人々が、湖岸で静かに暮らすような土地でした。
昭和14年(1939年)に国によって策定された「玉川河水統制計画」。
強酸性の玉川河川水を田沢湖へ導入し、農業に適するレベルまで希釈したうえで、また玉川に戻し、流域で安定的に稲作を行えるようにするための計画でした。
同時に、この水の移動過程を利用して、水力発電事業を行うというものでもあったのです。
現在、仙北平野は、全国でも有数の米どころとなりました。
しかし、多くの魚は死滅し、田沢湖の漁業文化は完全に途絶えてしまったのです。
■案内に従って湖岸へ
■こちらへ顔をかしげるたつこさん
辰子姫伝説は興味深いお話しです。
田沢湖が田沢潟と呼ばれていた頃、まれにみる美しい娘、辰子がいました。
辰子はその美しさと若さを永久に保ちたいと、大蔵観音に百日百夜、願いをかけました。
満願の夜、「北に湧く泉の水を飲めば願いがかなうであろう」とお告げを受けました。
喉が渇いてたまらず、泉が枯れるまで水を飲んでしまった辰子。その姿は龍に変わっていました。
龍となった辰子は、湖の守り主として永遠に深い湖底をさまようことになったのです。
一方、辰子の母は娘の帰りを案じ、田沢潟まで辿り着きました。娘が龍になったのを知って悲しみ、松明にした木の尻(薪)を投げ捨てると、それが魚になって泳いでいったそうです。
これが、後に国鱒(クニマス)となったということです。
さらに伝説には広がりがあります。
男鹿半島の八郎潟をつくって、主となった力持ちの龍神、八郎太郎。
毎年秋の彼岸の頃、田沢湖に恋人の辰子を訪ねて冬を過ごすのだそうです。
このため、主のいない八郎潟は凍りつき、一方、二人の龍神が住む田沢湖は、冬の間も凍らないのだそうです。
■「たつこ像」と漢槎宮(浮木神社)
■かわいらしいお社(やしろ)
「たつこ像」の側にある小さな神社、「漢槎宮」。
流れ着いた大木である浮木を祀ったといわれることから「浮木神社」とも呼ばれています。
御祭神は、「たつこ姫伝説」の辰子。
八郎潟の龍神だった八郎太郎と田沢湖の湖神・辰子の恋物語の伝説から、縁結びの神様ともなっています。
■「たつこ像」と残雪の残る秋田駒ヶ岳
■朝日に輝く「たつこ像」
取材した日は、時折、流れる雲間から光が注ぐような天気でした。
光が差し始めたその一瞬。
神々しく輝く「たつ子像」に会うことができました。
酸性の湖でなかったとしても、金色であるべきだったのかも。
ライティングなどを調整できない屋外彫刻。
周りの自然の風景や、その日の天気。或いは季節や時間帯。
それらが一体となって一つの作品となるのだなと、改めて感じたところです。