♦9 土門拳写真美術館(山形県酒田市)

♦となりの建築

山形県の北西部、日本海に面する酒田市。
戦後日本を代表する写真家、土門拳の記念館があります。
写真作品を所蔵・研究・展示するための、専門の美術館です。

1 写真家のための美術館

土門拳写真美術館は、1983年(昭和58年)にオープンしました。世界でも珍しい、単独の写真家の作品を所蔵、展示するための美術館です。

土門拳が、酒田市の名誉市民第1号となった1974年(昭和49年)、その顕彰式で、自分の全作品を酒田市へ寄贈したい、と当時の市長へ申出ました。

その後、財源対策や、国等との協議を経て市営の施設として完成したのが、この美術館です。

土門と親交が深く、帝国劇場などを設計した、昭和期の建築家、谷口吉郎。
この谷口吉郎の子息、谷口吉生が設計にあたりました。

土門拳写真美術館は、1984年(昭和59年)に、 吉田五十八賞を受賞しています。

谷口吉生は、その後、東京都葛西臨海水族館(開園1989年(平成元年))などを設計し、活躍しました。

2024年(令和6年)に、87歳で亡くなっています。

■飯森山公園内「拳湖」沿いに佇む美術館

■美術館入り口

■施設入り口から後方へ抜ける外部通路

■外部通路を渡り振り返る

■施設裏口を抜け「拳湖」側から見る美術館

■「拳湖」対岸から見渡す美術館全景

2 土門拳の仕事

土門 拳(どもん けん)は、1909年(明治42年)に、酒田市で生まれました。
(迫力のある名前ですが、本名です。)

1990年(平成2年)に、心不全のため、80歳で亡くなっています。

リアリズムを追い求め、「ヒロシマ」や「筑豊のこどもたち」といった、骨太の報道写真集を発表し、高い評価を受けました。

晩年は、脳出血で不自由な体となりながらも、「古寺巡礼」のシリーズで、日本の伝統文化をテーマにして、日本の美と日本人の心を追求し続けました。

名文家としても知られており「日本中の仏像という仏像を撮れば、日本の歴史も、文化も、そして日本人をも理解出来ると考えたのである」と、書き残しています。

土門拳の写真美術館は、激動の昭和を映し出す、ダイナミックな写真から始まり、晩年の仕事である、仏像の顔や、手などの接写という静的な仕事へと、展示が続いています。

写真家の一生の仕事というものを考えさせられる、貴重な(おそらく唯一無二の)美術館となっています。

■入る時と帰る時に眺める展示(右手が施設出入口)

■館内展示の様子

■「ヒロシマ」等の展示作品

■館内から臨む中庭

■土門が愛用したカメラ等