♣12 小林一茶像(長野県信濃町)

♣となりの彫刻

長野県の北部、信濃町。
新潟県に接する、雪深い、この土地は、小林一茶のふるさとです。

1 一茶記念館

1955(昭和30)年に、柏原村と富士里村が合併して信濃村となりました。
翌1956(昭和31)年、この信濃村と、信濃尻村、古間村が合併し、現在の信濃町となりました。

信濃町の柏原は、江戸時代後期を代表する俳人、小林一茶の生誕の地であり、終焉を迎えた場所です。

柏原には、一茶の墓や、数々の句碑のある、小丸山という小さな丘があります。
この一帯は、現在小丸山公園として、管理されています。

この小丸山公園の中に、「一茶記念館」があります。

一茶記念館は、1960(昭和35)年に、一茶ゆかりの「土蔵」が、国の史跡に指定されたことを記念して、開館したものです。

一茶の最晩年、柏原一帯に大火が発生しました。
一茶も、それまで暮らしていた家を、焼け出されてしまいました。唯一焼け残った土蔵の中で、一茶は、その生涯を閉じました。

柏原に、その土蔵が、今も残されているのです。

■一茶記念館

■雲の向こうが黒姫山

■記念館内部

■一茶ゆかりの展示品

2 小林一茶像

一茶記念館の一階ホールを裏に抜けると、その一帯が、小丸山公園です。

すぐに茅葺の小さなお堂が見えてきます。

1910(明治43)年に、一茶を慕う人々によって建てられた、「俳諧寺」(はいかいじ)という名前のお堂です。

一茶というのも俳号ですが(本名は小林弥太郎)、別に「俳諧寺」という俳号もありました。
このため、後年、建設されたそのお堂に、そんな名前が付いたのです。

この「俳諧寺」の手前に、一茶の像があります。
彫刻家、植木力(うえき つとむ)の作品です。

1990(平成2)年に、建立されました。

植木力(1913(大正2)年~2003(平成15)年)は、一陽会に所属して、活躍した人です。

日本の美術団体である一陽会は、一陽展(公募展)を、現在も、毎年、開催しています。
一陽会は、二科会から独立した団体ですが、植木力は、その設立時のメンバーです。

■一茶像と句碑。奥は「俳諧寺」

■一茶像

■像の背面

■一茶の背中と秋の空

■像の背面下部の銘板

■像の脇の句碑「初夢に古郷を見て涙かな」

■俳諧寺正面

■天井にはこの地を訪れた俳人たちの句

柏原へは、一茶を想い、多くの人達が訪れています。

1936(昭和11)年、漂泊の俳人、種田山頭火も、やってきました。
山頭火は、当時53歳でした。一茶ゆかりの史跡を、歩いてまわったようです。

俳諧寺のすぐ近くに、山頭火の句碑を見つけることができます。
「山頭火旅日記」から、山頭火自身の筆跡を使って、その句が刻まれています。

ぐるりとまわりきてこぼれ菜の花(土蔵)
若葉かぶさる折からの蛙なく(墓所)

信濃町柏原は、今も、多くの人達が、思いを巡らす土地となっています。

■山頭火の句碑