千葉県千葉市にある亥鼻公園(いのはなこうえん)。
かつて亥鼻城があったといわれている、中央区の亥鼻(今に残る町名)の高台一帯は、「文化の森」として、整備されてきました。
公園の中央部にある、「佐藤忠良」のブロンズ像「女・夏」を、紹介します。
1 千葉のルーツ亥鼻城
源頼朝の挙兵の際、いち早く参陣した、東国武士団の重鎮、千葉常胤(ちばつねたね)。
常胤は、千葉氏中興の祖、と言われています。
この常胤の父親である、千葉常重(つねしげ)。
平安時代の1126年(大治元年)に、上総国(かずさのくに)から、下総国(しもうさのくに)に拠点を移しました。
新たな拠点としたのが、亥鼻城のエリアです。
以来、1455年(康正元年)まで、千葉氏13代(約330年)にわたり拠点となりました。
一方、この頃から、千葉のまちとしての歴史が始まったといわれています。
このため、千葉市は、この1126年6月1日を「千葉開府の日」と位置付けました。
また、2026年が「千葉開府900年」にあたることから、これを記念して、様々なイベントなどが行われることになりました。
■亥鼻城と千葉常胤像
■田畑功「飛躍 千葉常胤像」
この亥鼻公園の中央には、天守がそびえ、正面には騎馬武者の銅像が設置されています。
この騎馬武者は、千葉常胤(つねたね)です。
彫刻家、田畑功の作品です。
千葉市制の施行八十周年と、政令指定都市への移行十年にあたる、2001年(平成13年)に、千葉市が設置しました。
千葉常胤の時代には、まだ「天守」という建築様式は存在していません。
現在、公園にそびえている亥鼻城(通称千葉城)は、いわゆる「模擬天守」です。
1967年(昭和42年)に建設されたもので、内部は千葉市立郷土博物館として活用されています。
この博物館は、2026年の千葉開府900年に向けてリニューアル工事が行われました。
2 日本を代表する具象彫刻家「佐藤忠良」
佐藤忠良(さとう ちゅうりょう)は、昭和から平成にかけて活躍した彫刻家です。
生き生きとした女性像などを、得意としました。
忠良が1986年(昭和61)に制作したブロンズ像「女・夏」が、亥鼻城の、すぐ目の前の公園に設置されています。

忠良は1912年(明治45年)宮城県生まれ。
2011年(平成23年)に、老衰のため、東京都杉並区の自宅で死去しました。98歳でした。
東京美術学校(現在の東京芸大)を卒業後、活躍を始めますが、1944年(昭和19年)に出征。
戦後3年間、シベリアで捕虜として、抑留生活をしました。
復員後に制作を再開。
一貫して具象表現を探求し、瑞々しく気品溢れる作風を確立しました。
日本の、近代具象彫刻の、頂点を形成した作家の一人、といわれています。
雑誌や文芸書、絵本の挿絵などの作画でも活躍しました。
1962年(昭和37年)に刊行された、『おおきなかぶ』という絵本があります。
ロシア人の、家族の庭に生えた大きな蕪。
これを引き抜くため、父、母、娘と次々に人数を増やし、最後は動物たちも協力して全員で引き抜くというストーリーです。
多くの人が、その絵に見覚えがあるのではないか、と思います。
この挿絵も、佐藤忠良の仕事です。
シンプルなストーリーながら、印象に残り、読み継がれる絵本となっているのは、なんといっても、忠良の高いデッサン力によるところが大きいと思います。
3 野外彫刻の行く末
東京都中央区の日本橋プラザビル前にも、同じ、佐藤忠良の「女・夏」のブロンズ像が、設置されています。
日本橋プラザビル前の像が、綺麗に維持管理されているのに比べると、亥鼻公園の像は、残念ながら、変色や汚れが目立つようになっています。
今回、亥鼻公園を取材したのは、5月の、天気が良い日でした。
広い園内を、忠良の作品を探して、少し歩き回りました。
等身大ほどのサイズ感のその作品は、近付くと、すぐにその存在感が伝わってきました。
ポーズや、質感が際立っていて、ひときわ目を引きました。
これはただならぬ、良い作品だと、素直に思ったところです。
作品のタイトルは「女・夏」。
夏が似合うと思います。
夏の強い日差しの中、公園を散策している途中などに眺めると、爽やかな、より強い印象を受けるのではないか、と想像されたところです。
そんな市民の憩いのためにも、このような屋外彫刻が、十分にメンテナンスされながら、すこしでも長く、よい状態で、後生に残っていくことを、願わずにはいられません。
■変色が痛々しい
■あっ、飛行機・・・
