♣4 佐藤忠良作『女・夏』(千葉県千葉市)

♣となりの彫刻

千葉県千葉市にある亥鼻公園(いのはなこうえん)。

かつて亥鼻城があったといわれている、中央区の亥鼻(今に残る町名)の高台一帯は、「文化の森」として、整備されてきました。

郷土博物館や図書館などが建設され、多くの石碑や彫像なども設置されています。

その公園の中央部にある、「佐藤忠良」のブロンズ像「女・夏」を、ご紹介します。

1 千葉のルーツ亥鼻城

源頼朝の挙兵の際、いち早く参陣した東国武士団の重鎮、千葉常胤(ちばつねたね)。
常胤は千葉氏中興の祖と言われています。

この常胤の父親である千葉常重(ちばつねしげ)。
平安時代の1126年(大治元年)に、上総国(かずさのくに)から、下総国(しもうさのくに)に拠点を移しました。

新たな拠点としたのが、亥鼻城のエリアです。

以来、1455年(康正元年)まで、千葉氏13代(約330年)に渡り両総に覇を唱える千葉氏の拠点となりました。

一方、この頃から、千葉のまちとしての歴史が始まったといわれています。

このため、千葉市は、1126年6月1日を「千葉開府の日」と位置付けました。
同時に、2026年は「千葉開府900年」にあたることから、これを記念したイベントなどが、現在、
断続的に行われています。

■亥鼻城と千葉常胤像

■田畑功「飛躍 千葉常胤像」

この亥鼻公園の中央には、天守がそびえ、正面には騎馬武者の銅像が設置されています。

騎馬武者は、千葉常胤。
この銅像は、千葉市制施行八十周年と、政令指定都市移行十年にあたる2001年(平成13年)に、千葉市が設置したものです。

彫刻家、田畑功の作品です。

ただし、千葉常胤の時代には、まだ「天守」という建築様式は存在していませんでした。
このため、現在公園にそびえている亥鼻城(通称千葉城)は、いわゆる「模擬天守」という位置付けになります。
1967年(昭和42年)に建設されたもので、内部は千葉市立郷土博物館として活用されています。

現在、この博物館は、2026年の千葉開府900年に向けてリニューアル工事(2025年10月末まで)が行われています。

2 日本を代表する具象彫刻家「佐藤忠良」

彫刻家の佐藤忠良(さとう・ちゅうりょう)は、昭和から平成にかけて活躍しました。
生き生きとした女性像などを、主にブロンズで表現しました。

佐藤忠良が1986年(昭和61)に制作したブロンズ像「女・夏」が、亥鼻城の、すぐ目の前の公園の一角に設置されています。

佐藤忠良は1912年(明治45年)宮城県生まれ。
老衰のため、2011年(平成23年)に、東京都杉並区の自宅で死去しました。98歳でした。

東京美術学校(現在の東京芸大)を卒業後、活躍を始めますが、1944年(昭和19年)に出征。
戦後3年間、シベリアで捕虜として、抑留生活を余儀なくされました。

復員後に制作を再開。
一貫して具象表現を探求し、瑞々しく気品溢れる作風を確立しました。
日本の、近代具象彫刻の、頂点を形成した作家の一人、ともいわれています。

雑誌や文芸書、絵本の挿絵などの作画でも活躍しました。

1962年(昭和37年)に刊行された絵本『おおきなかぶ』。
ロシア人一家の庭に生えた大きな蕪を引き抜くため、父、母、娘と次々に人数を増やし、最後は動物たちも協力して全員で蕪を引き抜くというストーリー。

多くの人が、その絵には見覚えがあると思います。
この挿絵も佐藤忠良の仕事です。

シンプルなストーリーながら、印象に残り、読み継がれる絵本となっているのは、佐藤忠良の高いデッサン力によるところが大きいと思います。

3 野外彫刻の行く末

東京都中央区の日本橋プラザビル前にも、佐藤忠良の「女・夏」のブロンズ像が、設置されています。同じ型から制作されたものだと思います。

日本橋プラザビル前の像が、綺麗に維持管理されているのに比べると、亥鼻公園の像は、変色や汚れが目立ちます。

今回、亥鼻公園を取材したのは、天気が良く、汗ばむような日でした。
広い園内を、佐藤忠良の作品を探して、少し歩き回りました。
等身大ほどのサイズ感のその作品は、近付くと、すぐにその存在感が伝わってきました。

ポーズや、質感が際立っていて、ひときわ目を引きました。
これはただならぬ、相当に良い作品だと、素直に感じたところです。

作品のタイトルは「女・夏」。
夏が似合うと思います。

夏の強い日差しの中、公園を散策している途中、汗を拭きながら、ふと立ち止まって、目をやるブロンズ像。

きっと爽やかな、より強い印象を受けるのではないか、と想像されたところです。

そんな市民の憩いのため、作品の状態を維持するように、必要な予算を措置して、メンテナンスに配慮するのは、公園管理者たる行政側の役割なのではないか。

日本橋プラザビル前のブロンズ像が、継続的に管理されているのは、うがった見方をすれば、芸術を愛する心からくるというよりも、もしかしたら損得から見て、それが必要なことだからなのかもしれません。

即ち、もしブロンズ像の状態がひどかったりすると、例えば土地の資産価値や、少なくとも賃貸オフィスの取引価格などには悪い影響を及ぼすでしょうから。

ただし、それは公園だって同じ事。
せっかくの芸術作品が、かえってその土地の格のようなものを下げてしまう、残念な結果につながりかねないのですから。

と、そんなことを思ったところです。

■変色が痛々しい

■あっ、飛行機・・・