♦10 いわさきちひろ黒姫山荘(長野県信濃町)

♦となりの建築

画家であり絵本作家である、いわさきちひろ。
彼女がアトリエとして使っていた山荘が、黒姫高原に残っています。
信濃町が移築し、童話館とともに、見学施設として管理しています。

1 児童文学関係者に愛された黒姫高原

黒姫山麓には、絵本「スーホの白いうま」の画家である赤羽末吉と、当時の町長さんが中心となって創り上げた、児童文学関係者による別荘地群が、今も残っています。

1966年(昭和41年)、いわさきちひろも、この土地にアトリエを兼ねた山荘を建てました。

その後、信濃町は、1991年(平成3年)に、世界の童話をテーマとした黒姫童話館を建設しました。その際、ちひろの山荘も、童話館の南側に、移築されました。

童話館で入館料を払うと、あわせて山荘も見学できる形となっています。
(童話館から一旦外に出て、中庭を通り抜けると、すぐ数メートル先に山荘があります。靴を脱いで入り、中の見学もできます。)

山荘を設計したのは、建築家の奥村まこと。
1930年(昭和5年)生まれ。ちひろより、一回り年下の女性の建築家です。

まことは、1949年(昭和24年)、東京藝術大学建築科に入学しました。
はじめての女子学生でした。

その後、恩師である吉村順三の建築事務所で、1972年(昭和47年)まで働いた後、同じく建築家の夫、奥村昭雄とともに、設計事務所を立ち上げました。

主に住宅などの、小規模な建築を手がけた人です。リノベーションなどの仕事を中心に、最晩年まで現役を続けました。元気で、個性的な人柄だったようです。

2016年(平成28年)に、85歳で亡くなっています。

■山荘北側からのアプローチ

■南側に回り大きな窓から中を臨む

■山荘前の説明板

■山荘が移築されている黒姫童話館のエリア

2 絵本画家いわさきちひろ

いわさきちひろは、1918年(大正7年)生まれ。
最初の夫は、東洋拓殖株式会社という、満鉄と並ぶ、大きな国策会社の職員でした。
しかし、ちひろと心が通わず、自殺してしまいました。

その後、再び絵を学び、同時に、再婚もし子供にも恵まれました。
夫は、松本善明という人。元衆議院議員であり、弁護士だった人です。

当時はまだ、絵本は、文章が主で、絵は従と考えられていた時代でした。ちひろは、自分の絵だけでなく、絵本画家のために、著作権を守る活動などを積極的に展開しました。
なにより、その魅力的な作品の力で、絵本の挿絵の、美術的な価値を高める仕事をしました。

1974年(昭和49年)に、55歳の若さで亡くなっています。

山荘を建てる際に、ちひろは、女性編集者を介して、奥村まことと出会いました。

ちひろは、その後も、東京の自宅の増築などの仕事を、まことに依頼しています。
きっと、気が合ったのだと思います。

ちひろは、夫の政治活動を支えながらも、精力的に仕事を続け、子育てもしました。

まことも、大規模な建築を手がける夫を支えつつ、自身も、建築士としての仕事を続け、子育てもしました。吉村事務所で勤務していた当時、制度も整っていなかったなか、吉村に直談判して、産後、2か月の育休を取ったそうです。

ともに女性として、それぞれの分野を切り開き、仕事も子育ても諦めなかった、ちひろとまこと。
当時、どんな風に話しをしながら、この山荘をつくり込んでいったのか。

二人の仕事を想像しながら眺めると、より魅力の増す、小さな建築作品となっています。

■山荘内の展示

■二階への階段とリビング

■緑の光が入るリビング

■小さなキッチンと実際に煮炊きしたストーブ

■風呂場と説明パネル

■絵本のような逸話

■大きな窓に面した一階作業場

■二階へ登る階段

■当時は野尻湖が見渡せた二階アトリエ